THE COST OF WAR

戦争の代償

戦争とは、地図の上を進む矢印でも、歴史書に記された勝敗でもない。それは破壊された家であり、引き裂かれた家族であり、奪われた子ども時代であり、生き残った人々が何十年も覚めることのできない悪夢である。

このページには戦争の実態を伝える歴史写真が含まれており、一部の方には不快に感じられる内容があります。

01 / 命

7,000万を超える命

第二次世界大戦は、人類史上もっとも多くの死者を出した戦争である。約7,000万〜8,500万人が亡くなり、これは当時の世界人口の約3%にあたる。第一次世界大戦と異なり、第二次世界大戦では兵士よりもはるかに多くの民間人が命を落とした。虐殺、爆撃、飢餓、疫病が、武器を手にしたこともない無数の人々の命を奪った。

中国は1931年の満州事変以来、約10年にわたって単独で日本の侵略に抵抗した。もっとも早く始まり、もっとも長く続いた反ファシズム戦争の戦場である。中国の軍民の死傷者は3,500万人を超え、世界反ファシズム戦争の勝利のために計り知れない犠牲を払った。

グラフは主な国の死者数(軍人と民間人の合計)について、一般的な推計の中間値を示したもの。資料によって数値に大きな差があるため、あくまで目安としての比較です。

ソ連
約 2,700 万
中国
約 2,000 万*
ドイツ
約 700 万
ポーランド
約 580 万
蘭領東インド
約 350 万
日本
約 280 万
ユーゴスラビア
約 100 万
イギリス
約 45 万
アメリカ
約 42 万

* 中国の公式統計では軍民の死傷者は3,500万人以上(負傷者を含む)。ポーランドの死者は戦前人口の約17%にのぼり、比率では各国中最大である。

02 / 都市

消し去られた都市

近代の戦争は、初めて「都市をまるごと破壊する」ことを日常にした。何百年、何千年と積み重ねられた街並みや建築、文化が、一夜にして灰になりうる。

スターリングラードの廃墟
ソ連 · 1942–1943

スターリングラード

約200日に及ぶ市街戦と爆撃で、両軍の死傷者は合わせて約200万人。人類の戦争史上もっとも凄惨な戦いの一つであり、戦いが終わったとき、街に無傷の建物はほとんど残っていなかった。

破壊されたワルシャワ
ポーランド · 1939–1945

ワルシャワ

1944年のワルシャワ蜂起が鎮圧された後、ナチス・ドイツは生き残った住民を追放し、街を一区画ずつ計画的に爆破した。1945年1月までに、建物の約85%が破壊された。

ドレスデンの廃墟
ドイツ · 1945

ドレスデン

1945年2月13日から15日、連合国軍は「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれたこの街を大規模に爆撃した。発生した火災旋風が旧市街を飲み込み、約2.5万人が亡くなった。

東京大空襲後の焼け跡
日本 · 1945

東京

1945年3月10日未明、米軍は焼夷弾で東京を爆撃し、木造家屋が密集する下町は火の海となった。一夜で約10万人が亡くなり、100万人が家を失った。史上もっとも破壊的な単独の空襲の一つである。

原爆投下後の広島
日本 · 1945

広島

一発の原子爆弾、一瞬の閃光。爆心地から2キロ以内の建物はほぼすべてが倒壊・焼失し、街は数秒のうちに消えた。1945年末までに約14万人が亡くなった。

上海
中国 · 1937–1945

上海、南京、重慶……

第二次上海事変では閘北などが爆撃で廃墟となり、南京は陥落後に大虐殺に見舞われ、重慶は5年半に及ぶ爆撃に苦しんだ。中国の大地では、数えきれない町や村が戦火に焼かれた。

上海南駅の瓦礫の中で泣く赤ん坊
1937年8月28日、日本軍機が上海南駅を爆撃し、列車を待っていた多くの避難民が死傷した。報道写真家・王小亭(H・S・ウォン)が撮影したこの写真は世界中に広まり、日本の中国侵略を伝えるもっとも有名な記録の一つとなった。
03 / 市民と子どもたち

戦争でもっとも罪のない人々

第二次世界大戦では、民間人の死者が全死者の約3分の2を占めた。人々は虐殺、爆撃、強制労働、強制収容所で命を落とし、戦争が引き起こした飢餓や疫病でも亡くなった。

  • 南京大虐殺:1937年12月13日の南京陥落後、日本軍は6週間にわたり、30万人以上(中国側の公式推計)の中国の民間人と武器を捨てた兵士を殺害した。中国では2014年から、毎年12月13日が国家追悼日とされている。
  • ホロコースト:約600万人のユダヤ人と、数百万人のロマ、障がい者、捕虜、政治犯が、強制収容所や虐殺によって殺害された。
  • レニングラード包囲戦:872日に及ぶ封鎖の中で、約80万〜100万人の市民が亡くなり、その大半は餓死だった。
  • 故郷を追われた人々:抗日戦争の間、数千万の中国の人々が故郷を離れた。終戦時、ヨーロッパだけでも約4,000万人が家を失い、あるいは故郷を追われていた。

戦争が奪ったのは命だけではない。何百万もの子どもが孤児となり、無数の家族が戦乱の中で離ればなれになって、生涯再会できなかった。生き残った人々は、心の傷や障がい、言葉にできない記憶を抱えて残りの人生を生きた。

長崎のきのこ雲
1945年8月9日、長崎上空に立ち上るきのこ雲。高さは18キロに達した。
04 / 核の影

閃光のあとに

原子爆弾が炸裂した瞬間、爆心地付近の温度は数千度に達し、人も建物も一瞬で灰となった。続いて爆風、火災、そして放射線が襲いかかった。

生き延びた「被爆者」の多くは、その後の数か月、数年、さらには数十年にわたって、放射線障害、白血病、がん、ケロイドに苦しみ、社会の差別にも直面した。それでも多くの被爆者は、残りの人生をかけてあの日のことを語り続けてきた。願いはただ一つ——二度と広島を、二度と長崎を繰り返さないこと。

0都市
人類史上、核兵器が実戦で使われたのはこの2都市だけ
0万発
現在、世界に存在する核弾頭の数
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)2025年の推計
05 / 今日

戦争は遠い過去ではない

1945年以降、世界大戦は起きていない。しかし地域紛争が止んだことは一度もない。戦争の被害は、今も起き続けている。

◆

1億2,300万人が故郷を追われる

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2024年末時点で、戦争・紛争・迫害・暴力によって故郷を追われた人は世界で約1億2,300万人にのぼり、過去最多となった。

◆

80年後も爆発する

第二次世界大戦の不発弾は、今もヨーロッパやアジア各地で見つかり続けている。国によっては処理にさらに数十年を要する。地雷や不発弾は、今も毎年のように市民や子どもたちを傷つけている。

◆

目に見えない傷

戦争による心の傷は何世代にもわたって続く。生存者の心的外傷後ストレス障害、親を失った子どもたち、破壊された教育や医療……。故郷の再建には、しばしば一世代がまるごと必要になる。